【わがまちは上越は】新潟県上越市を歴史と観光の観点から紹介|直江津.春日山城.上杉謙信.高田城址公園

【わがまちは上越は】 
新潟県上越市(じょうえつし)の歴史と観光の観点からのごく簡単なご紹介です。
上越市は複雑な歴史があるまちですが、なるべく簡略化してご紹介します。
*スマホ画面だと横向きのほうが見やすいとおもいます。
もくじ
上越市の地理とおもな地名
越後国府のまち直江津 親鸞聖人が住む
海水浴と水族館の直江津
春日山城主上杉謙信と栄えた直江津
「天と地と」と「天地人」
直江津の福島城 続いていれば・・・
直江津から高田へ移転、高田開府
榊原家で廃藩までつづいた高田藩
帝国陸軍第13師団の軍都高田 スキーの先駆者長岡外史の旧師団長官舎
桜とハスの名所・高田城址公園
日本スキー発祥地・高田の金谷山 ゆるキャラレルヒさん
高田市と直江津市
昭和46年、上越市誕生
平成の大合併 人口減少
北陸新幹線上越妙高駅

付録【新潟県の日本一いろいろ】
付録【上越市合併略年表】
付録【上越市関連キーワード】


上越市の地理とおもな地名
上越市は新潟県の南西部、上越地方にあり、高田平野が広がります。
昔上越地方を頚城郡(くびきぐん)と言ったので、高田平野を頚城平野またはくびき野とも言います。


北は日本海を臨み、東西は山が連なり、背後の南には妙高山(みょうこうさん/隣の妙高市の山)を望みます。
東の新潟市まで129km、西の富山市まで131km、南の長野市まで63kmの場所に位置します。
すなわち新潟市と富山市のほぼ真ん中に位置して、県庁所在地では長野市が一番近いのです。

おもな地名は、直江津(なおえつ)、春日山(かすがやま)、高田(たかだ)です。
これは旧国鉄時代から駅名になっており、JR時代を経て現在はえちごトキめき鉄道の駅名です。





越後国府のまち直江津 親鸞聖人が住む  
直江津港は古くからの港で、現在は大きな船が入る港です。
直江津は歴史の古い港まちで、越後国府でした。越後の都であり、今でいうと県庁所在地です。
今も「国府」の地名は残っています。

1207年(承元元)浄土真宗の開祖親鸞聖人(しんらんしょうにん)は35歳の頃、念仏弾圧で越後国府に流されてきました。
直江津海岸の西にある居多ヶ浜(こたがはま)が親鸞聖人上陸の地です。
最初に住んだのは五智国分寺(ごちこくぶんじ)の境内といいます。
その後今の本願寺国府別院(旧称小丸山別院/西本願寺の別院)の場所に移り住みました。
越後には5年ほど住んでその間、恵信尼(えしんに)と結婚しました。
流罪が赦免された親鸞聖人は、関東へ向かわれます。



また、国府の名残りが五智国分寺です。
室町時代(戦国時代)に上杉謙信が奈良時代の「越後国分寺」を五智の地に再建したものといいます。
古い三重塔が残りますが、奈良時代のものではなく、謙信の時代のものです。


海水浴と水族館の直江津



直江津海岸、郷津海岸は、夏にはなおえつ海水浴場と総称される海水浴やキャンプのスポットです。

夏には内陸の長野県方面からの海水浴客が多く訪れるので、「長野の海」のように言われます。
直江津海岸の前には上越市立水族博物館「うみがたり」があります。





春日山城主上杉謙信と栄えた直江津



1548年(天文17)上杉謙信春日山城の城主となります。
春日山城からは離れていますが、やはり直江津駅付近が大きなまちでした。
府中(ふちゅう)や府内(ふない)と言い、ともに国府と同じような意味です。
謙信公の登場で直江津地区は全国有数のまちになり栄えました。
謙信公の時代が上越市の全盛期です。









「天と地と」と「天地人」
上杉謙信の生涯を描きNHK大河ドラマや角川映画になった小説は海音寺潮五郎の「天と地と」です。
大河ドラマをきっかけに、春日山はだいぶ整備が進んだようです。

上杉景勝の家老・直江兼続(なおえ・かねつぐ)の生涯を描きNHK大河ドラマになった小説は火坂雅志の「天地人(てんちじん)」です。
謙信公亡きあとを継いだ景勝は豊臣秀吉に従いますが、会津に国替(くにがえ)を命じられて、上杉家は上越から去ってしまいます。
のちに徳川家康によって、上杉家は米沢(よねざわ/山形県)に国替になります。
戦国大名の子孫の多くが断絶したり、無名化したようですが、米沢藩の上杉家は江戸時代を通じて存続しました。






直江津の福島城 続いていれば・・・
1598年(慶長3)上杉家が去って豊臣秀吉の家臣の堀秀治(ほり-ひではる)が春日山城に入ります。
すると直江津に福島城*を築城を開始します。*古くは福嶋城」と書いた。福島市の福島城と区別して「越後福島城」とも。
しかし完成前に秀治は急死してしまいます。


1607年(慶長12)12歳の子堀忠俊が入城して、春日山城は廃城になってしまいます。
府中や府内と呼ばれた直江津駅付近から、福島城下に多くの人が移ったといいます。
福島城の場所は「直江津港佐渡汽船フェリーのりば」に近い古城(ふるしろ)小学校の辺りで、石碑があります。
今は港町(みなとちょう)ですが、昔はこの一帯を「福島」と呼んだのでしょう。
今もやや離れて「西福島」の地名が残ります。










1610年(慶長15)徳川家康の時代になると、お家騒動を理由に堀家は改易されます。忠俊の居城はわずか3年でした。
同年、家康の六男松平忠輝が福島城に入ります。
しかし1614年に高田城を築いて移り、福島城は廃城となってしまいました。
直江津の福島城は7年ほどの短命なお城でした。
福島城のまま江戸時代も続いていれば、のちの直江津と高田の対立も無く、雪は高田より少ないので、もっと地域が発展していたかもしれません。


直江津から高田へ移転、高田開府

1614年(慶長19)徳川家康の六男松平忠輝高田城を築き初代城主となりました。江戸時代続く高田藩のはじまり、高田開府です。




古くから直江津地区が越後国府、越後の都でしたが、高田にその機能を移転することになりました。
福島城下(上越市港町)から町人やお寺が多数移ったといいます。高田は越後の都として発展するはずでした。

1616年(元和2)しかし、なぜか松平忠輝は改易(かいえき)されました。入城してわずか2年のことです。
越後は中小の藩が分立することになりました。高田は越後の都ではなくなりました。


1624年(寛永1)越前から来た松平光長が高田城主になり、御三家に次ぐ四家の地位で高田藩は復活しました。
ところが、1681年(天和1)光長は60年近くも在位しながら、「越後騒動」といわれたお家騒動を理由に改易されてしまいました。
これで高田は転落しました。以後高田は並の藩になりました。
その後も高田城主は相次いで国替を命じられます。


榊原家で廃藩までつづいた高田藩
謙信公の没後、上越の地で城主になる家は長く続きませんでした。
改易されたり、国替で去ってしまいました。
1741年(寛保1)ようやく榊原家(さかきばら-け)が高田城主となりました。

江戸時代半ばから廃藩まで六代続きました。石高は十五万石でした。
高田城址公園の外堀向いには、榊原家をまつる榊神社(さかきじんじゃ)があります。





帝国陸軍第13師団の軍都高田
スキーの先駆者長岡外史の旧師団長官舎
1908年(明治41) 大日本帝国陸軍第13師団(だいじゅうさんしだん)が高田に入城。高田を語るうえで欠かせないのが陸軍のことです。



廃藩置県後に高田は衰退したため、町人の高田町が誘致運動を行い師団が設置されました。
高田に入城というのは、高田城址に入ったからです。
師団設置が無ければ、その後の高田はもっと寂れたものになっていたでしょう。
残念ながら、高田城址公園で13師団の面影をとどめるものはレンガ門くらいです。

同年、町人の高田町と武士の高城村が合併し、新たな高田町が誕生。これは1月1日のことで、師団の入城開始に合わせたものです。
1911年(明治44)市政を施行して高田市となる。

師団長の長岡外史(がいし)がスキーの指導をレルヒに依頼したので、金谷山で日本スキーが発祥しました。
長岡外史(1856年~1933年)は「日本の航空とスキーの先駆者」と評価された軍人・政治家で、出身地山口県下松市にはその名の「外史公園」があるほどです。
外史の長いヒゲの長さは約70㎝もあり、「プロペラひげ」とも呼ばれていました。













1910年(明治43)に師団長の長岡外史中将の邸宅として建てられた和洋折衷の木造建築が
旧師団長官舎です。長岡外史のブロンズ像があります。旧師団長官舎は、南城町の高田高校のとなりにあったのを1993年(平成5)に市が現在地に移築しました。

2021年(令和3)4月、旧師団長官舎をまちのにぎわいづくりに役立てようと、1階にフレンチレストランとカフェをつくり「レストランエリス」がオープンしました。


桜とハスの名所・高田城址公園

城あとの高田城址(じょうし)公園 は桜(サクラ)蓮(ハス)のお花見の名所です。
夜桜の名所で「日本三大夜桜」と言われます。
4月お花見の「高田城址公園観桜会」(旧称「高田城百万人観桜会」)は多くの露店が出店し、通常は百万人の人でにぎわう大イベントです。

蓮は「東洋一の蓮」と言われます。7、8月に「高田城址公園観蓮会(かんれんかい)」(旧称「上越はすまつり」)が行われます。ちょっとしたイベントがあります。蓮が咲くのは外堀で、お堀を埋め尽くすように蓮の葉でいっぱいになります。

2020年(令和2)まで「高田城址公園」は長年「高田公園」の名称でしたが、熱心な団体の運動によって変更されました。




江戸時代からの町人のまち・高田本町商店街と本町通り 
高田本町商店街は、江戸時代から高田城下町の町人のまちでした。陸軍第13師団
えちごトキめき鉄道の高田駅と高田城址公園の間に位置します。
自動車が普及していない時代は大変なにぎわいでした。
近年は往年のにぎわいはありませんが、お花見や本町通りのイベントでは、多くの人が集まります。
大好評の「越後・謙信SAKE(酒)まつり」が行われるのは、この本町通りです。




日本スキー発祥地・高田の金谷山
ゆるキャラレルヒさん
上越市の気候は、夏は蒸し暑く、冬は雨が多くて冷えると雪となります。高田は昔から大雪の城下町として知られました。
1911年(明治44)オーストリアの軍人・レルヒ金谷山(かなやさん)において、日本で初めてとなるスキー指導を行いました。

これは高田の陸軍の長岡外史師団長がレルヒに将校への指導を依頼して、高田郊外の金谷山でスキーをはじめたものです。
上越市の金谷山は日本スキー発祥の地に認定されています。
金谷山には日本スキー発祥記念館やレルヒ像、石碑があります。
金谷山は高田市になったこともあり、昔は「高田の金谷山」と言われていたようです。

 

レルヒをキャラクターにした「レルヒさん」は新潟県のゆるキャラです。レルヒさんの着ぐるみは県内各地のスキー場などで活躍しています。






高田市と直江津市
明治時代になり小さい町が多数存在し、それらが徐々に合併する時代になります。
高田は高田町となります。直江津は直江津町となります。


1911年(明治44)高田町は高田市となります。
1954年(昭和29)直江津町は直江津市となりました。
高田は直江津が国府であった流れを汲んでできたまちであり、両市は親子のような兄弟のような関係で、昔から合併の話はあったようですが、地域感情で長く対立が続きました。


昭和46年、上越市誕生
1971年(昭和46)高田市と直江津市がようやく対等合併し上越市が誕生しました。
合併前時点での両市の人口は、高田市が約7.5万人、直江津市が約4.5万人。
双方の中心部のほぼ中間点に位置する旧高田市北部の春日地区の木田に上越市役所を新築しました。


1978年(昭和53)上越教育大学が開学。
1983年(昭和58) 北陸自動車道が延伸開通し上越IC(インターチェンジ)が開業。
1997年(平成9)上信越自動車道が延伸開通し、上越高田ICが開業。
1997年(平成9)北越急行ほくほく線が開業。上越市民は直江津駅ー越後湯沢駅で新幹線乗り換えー東京駅というルートで、東京に行くのが一般的になりました。2015年(平成27年)北陸新幹線が開業するまでそうでした。



平成の大合併 人口減少
2005年(平成17)平成の大合併で上越市は、周辺13を編入合併。 
市域面積が約4倍に増大し広域都市となりました。
面積は、村上市に次ぐ新潟県第二位。全国24位。

<編入合併した13町村>東頸城郡 安塚町・浦川原村・大島村・牧村/中頸城郡 板倉町・大潟町・柿崎町・清里村・頸城村・中郷村・三和村・吉川町/西頸城郡 名立町

2005年(平成17)平成の大合併時の人口は約21万人。
新潟市、長岡市に次ぐ新潟県第三の都市。
しかし人口の減少がいちじるしく、合併以降は年間1000人前後の減少が継続しています。2021年(令和3)5月1日時点では人口18万8千人余りとなっています。

2012年(平成24) 上越火力発電所が営業運転を開始。


北陸新幹線上越妙高駅
2015年(平成27)3月北陸新幹線の上越妙高駅開業し、新たな玄関口となりました。
駅は上越市大和(やまと)にありますが、お隣の妙高市のことも配慮してJRが決めた駅名らしいです。新幹線は開通しましたが、観光の誘致はまだまだこれからといえましょう。

おわり



付録【新潟県の日本一いろいろ】
2022年現在 新潟日報 ふむふむより *数字略
<日本一○○なもの>
日本一長い川 信濃川 
日本一小さな山脈 櫛形山脈 新発田市と胎内市
日本一深い穴(自然にできた) 白蓮洞(びゃくれんどう)糸魚川市
日本一長い雁木(総延長)上越市
日本一大きい花火(世界最大級)4尺玉 小千谷市の片貝花火

<農業分野の日本一>
の産出額
枝豆の作付面積
ユリ(切り花)の作付面積
錦鯉の養殖業者数

<産業分野の日本一>
米菓(せんべい、おかきなど)の出荷額
水産練り製品(かまぼこなど)の出荷額
金属洋食器の出荷額
原油の出荷額

<新潟市の日本一>
新潟市の中華そば(ラーメンなど)の外食費

<数の日本一>
ハクチョウ類の飛来数
新幹線の駅数 7駅 
神社の数(宗教法人数)

<子どもに関する日本一>
むし歯の少なさ
中学男子卓球部員数

付録【上越市合併略年表】
1871年(明治4年) 廃藩置県により高田藩は高田県となる。高田県は柏崎県に編入される。
1873年(明治6年) 柏崎県が新潟県に編入される。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い旧高田城下町人町の中頸城郡高田下紺屋町、高田下小町、高田横町、高田呉服町、高田上小町、高田中小町、高田上職人町など多数の町が合併し、高田町が発足。
4月1日 - 町村制施行に伴い中頸城郡直江津町、高崎新田、塩谷新田村、砂山村、八幡村、至徳寺村、安国寺村、轟木村、春日新田(一部)が合併し、直江津町(なおえつまち)が発足。
1908年(明治41年)11月1日 - 中頸城郡高城村と合併し、高田町を新設。
1911年(明治44年)9月1日 - 高田町から市制施行して高田市となり中頸城郡から離脱。
1954年(昭和29年)4月1日 - 中頸城郡新道村、金谷村を編入。
1954年(昭和29年)6月1日 - 直江津町が中頸城郡八千浦村、有田村、諏訪村の一部、保倉村を編入し、市制施行して直江津市となる。
1955年(昭和30年)2月1日 -高田市が中頸城郡春日村、諏訪村、津有村、三郷村、和田村(一部)を編入。
1971年(昭和46年)4月29日 - 高田市と直江津市が新設合併し、上越市が発足する。
2005年(平成17年)1月1日 - 東頸城郡安塚町・浦川原村・大島村・牧村・中頸城郡板倉町・大潟町・柿崎町・清里村・頸城村・中郷村・三和村・吉川町・西頸城郡名立町を編入合
併する。
2007年(平成19年)4月1日 - 特例市に移行する。

付録 【上越市関連キーワード】

●新潟県上越地方、高田市、直江津市、越後国、頚城郡、上越後、高田平野/
●直江津駅、直江津港、直江津海岸、なおえつ海水浴場、水族博物館うみがたり、新潟県鉄道発祥の地/越後国府、越後府中、親鸞聖人、安寿と厨子王丸、山椒大夫、五智国分寺、越後福島城、堀秀治、直江津今町、直江津祇園祭/
●春日山駅、春日山城跡、上杉謙信(長尾景虎)、謙信公祭、天と地と、川中島の戦い、義の武将、敵に塩を送る、林泉寺、上杉景勝、直江兼続、御館の乱、天地人/
●高田駅、高田城址公園、日本三大夜桜、東洋一の蓮、小林古径記念美術館、越後・謙信SAKEまつり、高田世界館(最古級映画館)/高田藩、松平忠輝(徳川家康六男)、松平光長、越後騒動、榊原家/
自衛隊高田駐屯地、軍都高田、第13師団、長岡外史、蒋介石/豪雪、雁木、日本スキー発祥の地、レルヒ、磯野霊山/前島密、楊洲周延、牧野虎雄、会津八一、相馬御風、堀口大学、濱谷浩、齋藤三郎(陶芸家)、高田瞽女、斎藤真一、富岡惣一郎/
●笹団子、翁飴、粟飴、出陣餅、川渡もち、岩の原ワイン、笹だんごパン、雪むろ酒かすラーメン、のどぐろ、幻魚、日本酒(スキー正宗、雪中梅、かたふね、吟田川、君の井、千代の光・・・)、えちご上越米(コシヒカリ、新之助、みずほの輝き・・・)
●妙高市、妙高山、赤倉温泉、岡倉天心終焉の地、小杉放庵、郷倉千靭/新井駅、森蘭斎、とん汁ラーメン

高田本町・上越市観光関連リンク

高田本町の休憩処・菓子店

高田本町周辺の食事処リンク

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樹下美術館(頸城区 犀潟駅南)
齋藤三郎の陶芸と倉石隆の絵画。喫茶店あり。


上越市の観光関連・企画展情報
上越市の祭りイベント 月順
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△置き物・・・ほてい、大黒などの置物など。ただし、置物は需要が低下したため、平凡なものだとお金にならなくなりました。

×××買い取り困難なケースや品物の例×××

買った当時の値段が高くても、現在は値段がつかないものは多くあります。ギフトなどの中古品は値段にならない物が多いです。

×お膳お椀・・・黒塗りや黒朱(外が黒、内が朱)のお膳、お椀は需要が無くお断りしております。良い蒔絵のある場合は大丈夫ですが、そういったものは少ないです。
×大きな座卓(お座敷机)・・・大きくて重い長い座卓は、現在需要が乏しく値段がつきません。買った値段が何十万していてもだめです。
×巨木の衝立(ついたて)…大きな木の衝立は需要が乏しく値段がつきません。衝立でも漆塗りものなどは大丈夫な場合もあります。
×流木の置物…値段がつきません。
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ご自身での高価なお買い物は思いがあるでしょう。それを手放すのにお悩みの方はご相談に応じます。※高価とは数十万円、百万円以上のもの。数万円のものは対象になりません。

住宅の洋風化に伴う変化
現在は、骨董品の需要に変化がいちじるしく起きています。様々な事情があるでしょうが、住宅の洋風化が急速に進んだことは大きな原因のひとつと思います。
掛け軸、大きな置物、大きな飾り壷、扁額(へんがく、高い所に掛ける)、屏風(びょうぶ)など、和室を飾るものを欲しがる方が大変少なくなりました。これは、床の間を中心とした日本古来の飾りの文化が、住宅の洋風化で廃れたからでしょう。
また、大きな座卓(お座敷机)や、衝立(ついたて、玄関に置く)なども、置く家が少なくなりました。昔お座敷の宴会などで使用したお膳やお椀などは、かなり以前から需要が無くなっております。
これらは一部の貴重なものを除き、わずかなお金にしかならないものがほとんどになりました。

需要の変化は近年に始まったことではなく、昔からです。売れなくなったものがあれば、売れるものもあり。骨董品で求められるものはその時代の生活事情によりこれからも変わって行きます。

悪質業者にご注意下さい
東京方面の業者を呼んだお客様から、悪質な事例を聞いております。きちんと対話をすることなく、泥棒のように持ち去ってしまうそうです。買取価格は非常に割安であるとのことです。東京の業者というと聞こえは良いですが、悪質な業者が多いので気を付けてください。

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以上で鳩居堂製品は終わりです。


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のし袋 祝儀袋 霊前袋 御仏前袋 月謝袋 メッセージカード *メーカーは各品各社です。



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ごく一部を除き、鳩居堂のお香を陳列していますご家庭用にもご進物用にも。
◆新品コーナー>お香
鳩居堂製お部屋用のお香 
鳩居堂ホームページでは「お香」のページで次のように紹介されています。「手軽なお部屋の香り お好みに応じて気軽に楽しんでいただけるお香です。 香りは、大きく分けて、和風・洋風の2種類になります。
和風は、漢方薬にも用いられている天然香料を原料とした落ち着いた香りです。
洋風は、香水香料を主な原料とした少し華やかな香りです。」
「形も、スティック型、コーン型、うずまき型などいろいろございます。用途に応じてお使い分けください。」以上。

スティック型のお香 
線状で線香には違いありませんが、お部屋の香り用です。鳩居堂では仏壇用と分けて「お香」と称しています。仏壇用の線香に比べ短いです。









うずまき型のお香
うずまき型ですが、蚊取り線香ではありません。お部屋の香り用です。





鳩居堂製におい袋(にほひ袋) 
鳩居堂ホームページでは「にほひ袋」と表記され、次のように紹介されています。
「街角で、ふとすれちがった女性から、そこはかとなく美しい薫りが漂うとき、その人の気品と人柄がしのばれるもの。「にほひ袋」は風に漂う薫りのアクセサリーです。」
「・・・(略)にほひ袋は奈良時代に存在したと考えられています。
現在では、着物の帯締に下げたり、袂に入れたりして身につけ使用します。また、身につける以外にもバック、机やタンスの引き出しの中に入れ、その移り香を味わうなど、その香りをお楽しみ下さい。」





鳩居堂製仏壇用の線香 
ここからは鳩居堂製のお仏壇用のお線香になります。お部屋のお香としても十分お楽しみいただけます。


鳩居堂製お焼香


以上で鳩居堂製品は終わりです。



松栄堂製コーン型のお香
お香で有名な京都の松栄堂の製品です。








◆新品コーナー>お香立て・香皿類 








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