斎藤真一 美術作家メモもくじページ 遊心堂お店案内
▼斎藤真一(左)と遊心堂加藤良作。西しろ店(本店)の前で。
吉原遊女の本も出し、ついには昭和62年に、映画「吉原炎上」となって広く世に知られた。没後も有名で絵の評価は高い。
▼下は素描の小品。
美術作家メモもくじページ 遊心堂お店案内 2019(令和元)年5月修正更新
▼斎藤真一(左)と遊心堂加藤良作。西しろ店(本店)の前で。
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斎藤真一は洋画家であり作家であった。文章を書き、挿絵を描いて本を出した。
瞽女(ごぜ)の本を書くために遊心堂加藤良作を訪れ、遊心堂西しろ店の2階に上がり高田瞽女の取材をした。良作とはゆっくり談話をした。
吉原遊女の本も出し、ついには昭和62年に、映画「吉原炎上」となって広く世に知られた。没後も有名で絵の評価は高い。
▼下は素描の小品。
私(遊心堂加藤裕明)は祖父加藤良作に連れられて、東京のお宅に伺った覚えがある。斎藤真一先生の晩年だったように思う。