【郷土新潟県上越周辺ゆかりの美術作家メモ 陶芸家工芸家ページ】上越市.旧高田市.旧直江津市

陶芸家とその他の工芸家で、新潟県上越地方周辺ゆかりの人物を何人か紹介しているページです。 美術作家メモもくじページ  遊心堂お店案内  

文中で、高田は上越市の旧高田市街地、直江津は上越市の旧直江津市街地のこと。
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以下は、号または下の名前のあいうえお順

河合卯之助(かわい・うのすけ)京都の陶芸家。大正頃から柏崎市の文人らと交流した。

高野久山(弓山)直江津の五智国分寺裏に住んだ「五智焼」の陶芸家。明治大正に人物像や雑器を作った。
小山欽哉(きんさい)本名:金平 柏崎市の漆芸家。「金磨塗」を考案。


橋詰光越(はしづめ・こうえつ)長岡市の漆芸家。
平田光楽(こうらく) 誠二郎  柏崎市の平田呉服店主人で漆芸家。 塗師内田宗寛の実弟。
小山古月(こげつ)柏崎市の漆芸家。欽哉(金平)の弟。宗健(健蔵)の父。
梶 古拙(かじ・こせつ)新潟市の漆芸家。螺鈿。


齋藤三郎(さぶろう)初代陶齋(とうさい)、泥裏珠光(でいりじゅこう)高田の陶芸家。長岡市旧栃尾市の出身。 京都で近藤悠三、富本憲吉ら二人の人間国宝に学んだ。齋藤尚明(二代陶齋)の父。


志賀重人(しげと)本名:重雄  高田出身の陶芸家。 高田の陶芸家齋藤三郎に学ぶ。のち京都で高田出身の内田邦夫ほか何人かに学んだ。オーストラリアで成功した。
寿山(じゅざん)直江津の五智の陶芸家。明治に「五智焼」をつくった。


内田精一(せいいち)柏崎市の塗師。塗師内田宗寛の子。

原晴雲(せいうん)襲名:惣右衛門  柏崎市大久保の鋳金家。三代続いた。

大月清五郎(せいごろう)糸魚川市の漆芸家。



内田宗寛(そうかん)号:柏竹庵(はくちくあん)柏崎市の塗師。 
小山宗健(そうけん)本名:健蔵  柏崎市の漆芸家。小山古月の長男。



本間琢斎(たくさい)佐渡市の鋳金家。初代は越後大久保(柏崎市)の出身。佐渡奉行に招かれ佐渡に移り、佐渡銅器を始めた。以後、代々続く。
金井正(ただし)糸魚川市旧青海町の陶芸家。清水卯一に師事。
小野為郎(ためろう)村上市の漆芸家。二代続いた。


井部富夫(とみお)高田郊外の滝寺の陶芸家。上越市頸城区出身。滝寺窯と称す。


原直樹(なおき)柏崎市大久保の鋳金家。香取秀真に師事、東京美術学校卒。鋳金家・原松州の長男。長男原正樹は東京芸術大学教授。


滝川美堂(びどう)直江津の五智の彫刻家。糸魚川市旧能生町小見の出身。木彫で上杉謙信像を作ることに生涯をかけた。上京し斉藤美洲と朝日明堂に学び帰郷。滝川美一の父。



滝川毘堂(びどう)本名:美一(よしかず)五智出身の彫刻家。美堂の長男。春日山の上杉謙信公銅像を造った。
*お詫び 末尾に「目標を達成し千体目を林泉寺に奉納した。」と記載していたのは某書籍を参考にしたものですが、そういう事実はございませんでした。ご指摘いただいた方には敬意を表し感謝いたします。


原正樹(まさき)柏崎市大久保出身の金工作家で東京芸大教授。原直樹の長男。
佐久間正孝(まさたか)高田の木彫家。大町に住んだ。
江島正隆(まさたか)高田の木彫家。初代後藤正義の弟子。東城町に住んだ。
北村正信(まさのぶ)糸魚川市旧青海町出身の大理石彫刻家。北村四海の弟子で養子。
後藤正義(まさよし)高田の木彫家。初代は根付師。戦前、四代まで続いた。
原益男(ますお)柏崎市大久保の鋳金家。


吉田隆介(りゅうすけ)柏崎市の陶芸家。京都の森野嘉光に師事。


岩野勇三(ゆうぞう)高田出身の彫塑家。東京造形大教授。佐藤忠良に師事。中原悌二郎賞。

戸張幸男(とばり・ゆきお)高田にあった新潟大学高田分校にいた彫刻科教授。


文中で、高田は上越市の旧高田市街地、直江津は上越市の旧直江津市街地のこと。