【濱谷浩】新潟県上越市旧高田市に疎開した写真家

濱谷浩(はまやひろし) 美術作家メモもくじページ    遊心堂お店案内
大正4-平成11  高田に疎開した写真家
詩人堀口大学は、濱谷浩を「天の写真家」と評価し、仲人をするなど家族ぐるみで交流があった。濱谷は高田で疎開中に、堀口の仲人で、江戸千家茶人の濱谷宗朝(そうちょう)と結婚した。濱谷家の茶室の庵号を「寸雪庵(すんせつあん)」と名付けたのも堀口大学だった。
会津八一は晩年に、新進気鋭の若手写真家だった濱谷浩と交流があった。濱谷は、なかなか笑わない会津を笑わせて、微笑をうかべる肖像写真を撮るなど、才能を発揮した。

陶芸家齋藤三郎は大正2年生れ。遊心堂加藤良作は大正3年生れ。写真家濱谷浩は大正4年生れ。3人年齢が続いて仲がよく、「自分たちのことを“三兄弟”と呼んでいた」と、加藤良作は笑って語った。
下は濱谷の手造(てづくり)茶碗 銘「遊心」 斎藤三郎の陶齋窯にて作陶。

この茶碗は、銘から察すると、濱谷浩が加藤良作に与える目的で造ったのだろう。
陶齋窯で三人が談笑する姿が浮かぶ。